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東京地方裁判所 昭和48年(人)4号 判決 1973年3月29日

請求者 甲野花子

右代理人弁護士 庄司正臣

被拘束者 甲野雪子

右代理人弁護士 向山隆一

拘束者 甲野一郎

右代理人弁護士 塚田秀男

主文

被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。

本件手続費用は拘束者の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

第一  請求者(昭和一八年一〇月二六日生)と拘束者(昭和一二年一一月二七日生)は、昭和四五年一一月一五日婚姻届をした夫婦であり、被拘束者は、昭和四六年七月三〇日請求者と拘束者との間の長女として出生した現在一才七か月余の幼児であること、請求者は拘束者の肩書居住地において、婚姻の当初から拘束者のほか、同人の妹月子(当三一才)、同星子(当二六才)、弟二郎(当二五才)らとも同居していたが、拘束者および妹、弟らとの折合いが悪く、何かといさかいが絶えなかったこと、請求者は昭和四七年七月一八日夫婦げんかが原因で被拘束者を連れて肩書地の実家(東京都○○区○○×丁目×番××号)へ帰り、以後、拘束者と別居し、右実家で被拘束者を監護養育していたこと、拘束者は同年七月二五日午後三時ごろ請求者の実家に赴き(その際請求者は外出留守中であった)、被拘束者を拘束者の肩書住居地(東京都○○区○○○×丁目×番××号)に連れ帰り、爾来同所において監護、養育していること、請求者主張調停事件が東京家庭裁判所に係属中であることはいずれも当事者間に争いがなく、請求者が拘束者と、離婚する決意でいることは、請求者本人尋問の結果によって明らかである。

ところで、意思能力のない幼児を監護、養育する行為は、必然的にその幼児に対する身体の自由を制限する行為を伴うから、その監護行為は人身保護法および人身保護規則にいう拘束にあたると解すべきところ、被拘束者は生後一年七か月余の幼児であって、意思能力を有しないことは明らかであるから、拘束者による被拘束者の監護は右の拘束にあたるというべきである。

第二  そして≪証拠省略≫を総合すれば、拘束者は請求者に無断で被拘束者を請求者の実家から連れ出して専ら自己の支配下に置き、昭和四七年九月以降は、請求者にもできるだけ会わせないようにして(請求者が被拘束者に会ったのは昭和四七年一一月一四日と昭和四八年二月一三日の二回だけである)、今日まで監護していることが認められる。

右事実によると拘束者は、被拘束者に対する共同親権者の一人ではあるものの、適法な手続きによらずに他の共同親権者である請求者の意思に反して意思能力を有しない被拘束者を排他的に監護していることが明らかであり、これを適法な親権の行使とみることはとうていできない。したがって、拘束者の被拘束者に対する監護は違法な拘束にあたると認めるのが相当である。

第三  次に本件において被拘束者に対する拘束の違法性が顕著であるか否かについて判断する。

夫婦関係が破綻に瀕している場合に、夫婦の一方が他方に対し、人身保護法に基づき共同親権に服する幼児の引渡しを請求する場合には、その請求の要件の一つである拘束の違法の顕著性(人身保護規則第四条本文参照)の有無は、夫婦双方の事情(子に対する愛情、経済状態、家庭環境等)を実質的に比較考察し、幼児にとって、拘束者によって監護、養育されるよりも、請求者によって監護、養育される方が幸福であることが明白か否かという見地から判断するのが相当である(最判昭和四三年七月四日民集二二巻七号一、四四一頁参照)。

そこで右基準に基づき、本件において被拘束者が請求者、拘束者のどちらに監護されるのがより幸福であるかについて判断する。

思うに、被拘束者のように未だ一才七か月余の幼児にとっては、母親が病気、貧困その他の事情により、子の監護、養育を十分にすることができないとか、子の円満な人格形成に悪影響を及ぼす恐れのあるような醜業に従事しているとか、その他特段の事情が認められない限り、母親の膝下に置いて行き届いたきめ細かな愛情のもとで監護、養育されるのがもっとも自然であり、その肉体的、精神的、社会的成長のためにももっとも好ましく、子供にとってももっとも望ましいことはわれわれの日常の生活経験に照らして殆ど疑問の余地のないほど明白である。

そこで本件において右の特段の事情があるか否かを検討してみる。

一  拘束者の被拘束者に対する監護の状況

≪証拠省略≫によると次の事実が認められる。

拘束者は昭和四七年七月二五日以来被拘束者を自分の肩書地で監護、養育しているが、実際にはもっぱら拘束者の妹月子、星子に被拘束者の世話をさせている。妹らは被拘束者の監護に努め、健康診断、予防接種も定期的にきちんと受けさせ、夜は二人で添寝するなど、愛情ある態度で、誠意をもって被拘束者に接しており、ために被拘束者は、拘束者のほか右妹らによくなつき、健康状態も、たまに風邪を引く程度であって良好であり、一応平穏に安定した生活を送っている。

二  請求者、拘束者双方の家庭環境、経済状態、その他の事情

1  請求者について

(一) 請求者は、現在肩書地の実家で母乙山春子(当六五才)と弟(当二五才)と同居している。右建物は二階建で、階下は店舗(四坪)、四畳半の居間、台所、風呂場、二階は八畳間、四畳半の部屋となっている。以上の事実は当事者間に争いがない。

(二) ≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。

請求者は、被拘束者を出生後、前判示のとおりに、拘束者によって被拘束者を連れ去られるまでの間、母親としての愛情をもって被拘束者を正常に監護、養育してきた。被拘束者が拘束者方に連れ去られた後は、週に一、二回程度被拘束者との面会を求めて拘束者方を訪れていたが、拘束者や、同人の妹らに面会を拒絶されることが多く、時には塩をまかれることすらあった。それでもなお請求者は面会に行くことをやめなかった。もっとも、昭和四七年九月七日より東京家庭裁判所で請求者、被拘束者間の離婚調停が行なわれるようになってからは、調停委員等の斡旋によって右裁判所内などで面会することになったので、請求者は、第二回の調停が行なわれた昭和四七年一一月一四日以降は、拘束者方に行くことを控えていた。≪証拠判断省略≫なお、拘束者は、請求者は被拘束者を監護、養育するにふさわしい性格の持主とは言い難いと主張し、その根拠として、(1)請求者は内向的、自己本位的性格の持主である。(2)請求者は拘束者と別居するようになってから自分が妊娠していることを知ったが、自ら進んで中絶することを希望し、手術を受けている旨を主張する。そして右(1)の主張につき拘束者本人および証人甲野月子は、右主張に添うようなことをいろいろ供述するが、右供述は請求者に対する思いやりを欠いた一方的な見方に立つものが多く、これを直ちに採用することはできず、右(2)の主張については、請求者本人尋問の結果によると、請求者が妊娠中絶手術を受けたことは認められるが、それは拘束者の指示によったものであることが認められ、請求者が自ら進んでこれを希望してしたものとは認め難い。他に拘束者の前記主張を認めるに足りる証拠はない。

(三) ≪証拠省略≫によると次の事実が認められる。

請求者とその母は、亡父乙山太郎(昭和四七年一一月二三日死亡)が営んでいた家業の燃料店を引継いで経営しているほか、和裁の内職もしている。燃料店の経営により得られる純収益は月に三、四万円程度であり、和裁により得られる収入は、請求者は月に二万円位であり、母は、月に三万円位である。請求者と母の収入を合せると普通程度の生活を維持することは困難ではないと思われる(そのほか弟が勤めに出ていて六万円程度の収入を得ているが、弟からの経済的援助はあまり期待できない)。なお被拘束者が請求者に引渡されることになれば、必要に応じ拘束者が、その養育費を分担することになることが予想されるので、請求者が被拘束者を監護、養育するについて経済的不安は殆どないものと思われる。

2  拘束者について

(一) 拘束者はその肩書地にある土地、建物を妹、弟ら四名と共有し、右建物で妹、弟らの協力を得て寿司屋を営んでいる。右建物は二階建で、階下は店舗一四坪、三畳間、台所、風呂場、洗面所、二階は三畳間、六畳間、八畳間、六畳間で、ここに拘束者、妹月子、同星子、弟二郎夫妻が住んでいる。以上の事実は当事者間に争いがない。

(二) ≪証拠省略≫によると次の事実が認められる。

拘束者は、昭和四二年に寿司屋を開業して以来まじめにその仕事に励んでおり、これまでたまにマージャン、競馬などをすることもあったが、最近では、被拘束者の監護問題もあり、これらの遊びは控えている。店の売上げは一か月八〇万円ないし九〇万円程度であり、この種営業としてはそう多いほうではない。拘束者は一〇万円、妹らは各五万円位の月給を店から支給されることになっているが、拘束者らの生活費が毎月店から直接支出されているため、給料の支払いを現実に受けたことはない。その他寿司店開業当時の借金も約一三〇万円残っており、店の経営はそれ程楽ではない。しかし、拘束者らの生活は普通程度の水準にはあるものと思われる。

(三) ≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。

拘束者は、被拘束者に対し父親としての愛情を抱いており、同女の監護、養育にそれなりの努力をしているが、妹らの協力なしに被拘束者を監護養育することは殆ど不可能である。ところで妹らは、いずれも結婚適令期にある未婚の女性であって、今後数年のうちに結婚することが十分考えられる。もしそうなると拘束者の被拘束者に対する監護態勢は著しく悪化することが予想される。

以上認定した双方の子に対する愛情、経済状況、家庭環境等の諸事情を比較衡量すると、本件においては被拘束者は、拘束者によって監護養育されるよりも母親である請求者によって監護、養育される方が幸福であることは明白であるというべきであり、母親である請求者が被拘束者を監護、養育するのを不適当とするような特段の事情があるとはとうてい認めることができない。

第四  以上のとおりとすると、拘束者による被拘束者の監護は人身保護法、人身保護規則にいわゆる拘束にあたり、かつ右拘束は違法であって、しかもそれが顕著であるというべきであるから、本件請求は理由がある。そこで、これを認容することにして、被拘束者を釈放し、被拘束者が幼児であることにかんがみ、人身保護規則第三七条に基づき、被拘束者を請求者に引渡すこととする。

よって手続費用の負担につき人身保護法第一七条、人身保護規則第四六条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宮崎富哉 裁判官 和田日出光 鈴木勝利)

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